VSeI - epilogue - 03

Vir-Stellaerrans Interface

「お兄ちゃん?」
  孤児院の食堂で食器を並べていたアレクシスは、一緒に手伝っていた少女に腕を引かれ、視線を戻した。
「ああ」
「どうしたの?ウィルも怖い顔してる」
  小さい声で呟かれ一列向こうを眺めれば、今にもグラスを握りつぶしそうなウィリアムが渋い顔で天井を見つめていた。感情を押し込めるように深呼吸を一度。肩が落ちた。強い衝動を無理矢理抑え込んだ顔つきだ。
「大丈夫。あいつはきっと寝不足か何かだろ」
  苦笑混じりにアレクシスは呟く。
「またぁ?」
  小鳥のような可憐な声で笑う少女の頭を撫でてやり、アレクシスは後の作業を少女に託した。食堂から去り際、ウィリアムを覗えば肩を竦めるだけ。会話が無くても、解っている。
  いつもと変わらない日常。フォルト協会が経営している孤児院の世話をする事が、ここで傭兵をしている者達の本来の仕事だ。三食の世話から、未就学児の子守に至るまで多岐に渡る。元来同じ孤児院育ちなので、仕事と言うよりは殆ど日常生活の一部になっていた。
  傭兵として派遣されていた間の殺伐とした心も、ここに戻れば癒される。あの有名な宇宙軍から戻って数ヶ月。子供達と過ごす何気ない日常は変わらず長閑に過ぎていた。
  だが、アレクシスにとっては今朝までだ。きっとこれから、それも変わる。自分にとっては劇的なことだろう。けれど周囲から見れば、きっと些細なことだ。アレクシスは予感に小さく笑った。
  人通りの多い廊下を抜け、誰の視線も届かぬ小陰に身を隠す。瞬きひとつで、彼は枢機卿の部屋の中に居た。
「おや。いつのまにそんな芸当を身に付けたのかな」
「すみません。今だけ目を瞑ってください。普段は足を使います」
「うん?構わないけれど」
  執務机から顔を上げた麒麝は、苦笑を浮かべていた。唐突に出現したという事態には驚いていないらしい。お互いの正体を知っている今となっては、特に驚愕すべき事ではないのかもしれないが。
「それで、何か?」
  外見上は未成年であるのに決して子供とは感じられない威厳を纏ったままの麒麝が、茶目っ気たっぷりでアレクシスを見上げている。枢機卿にとって、アレクシスは自分の子も同じという親心より、同胞を見つめるものに近い。
「暫く、協会を空けます」
  数ヶ月前では考えられないことだ。傭兵としての依頼で以外、自発的にこの住処を出て行くという思いすら抱かなかった。旅行をしたいという欲求も無い。けれど今は、立場は変わらない筈なのにもっと広く自由だ。組織に囚われることもなく、そして理解ある同胞が居る。
「アレクシス・カレル、としてではなく、かな?」
「レカノブレバスの管理人として、で」
  名目上そう言ってみたアレクシスだが、性格や人格が統合されてしまった今、肩書きで分けなくともどちらも同じ自分だという意識がある。慣れない所為か、どこか面映ゆい。
「ちなみに、これはただ私の好奇心なのだけど、何処へ行くのか聞いても?」
  細い指を組んで顎を乗せた麒麝が、随分と楽しそうだ。下世話な思惑など感じないので、本当に興味があるだけなのだろう。
  アレクシスは唇の端に笑みを乗せた。
「この星で最も安全な場所へ」

 

***

 

 このレカノブレバスで最も安全な場所。
  それは、眠りについた『破壊』の傍だろう。
  絨毯の上に蹲るようにして倒れ込んでいる男を見下ろして、アレクシスは真っ青な瞳を細めた。長い銀髪が床に散らばっている。
  広い部屋だ。ホテルのスイートを思い起こさせる。分厚いカーテンが引かれている所為で、隙間から入り込んだ朝日以外照明になるようなものは無かった。差し込んだ明かりは僅かだが、朝日の強さは室内の暗さに負けている。光の筋だけ浮いて見えた。それは何処か不自然に感じるほどだ。
  勝手に侵入しておいて何だが、見知らぬ部屋だなとアレクシスは視線を向ける。けれど調度品やファブリックの系統は見覚えがあった。何も知らないただの傭兵だった頃、フォルト協会から件の将軍邸へ連れられた事を思い出す。遠い昔のように感じた。
  ぐるりと見渡してみたけれど、そんなことをせずともこの部屋は件の将軍――レイブン・ルイ・ローゼンヴォルトの寝室だろう。自宅の。
  そもそも当の本人が、床に転がっている。
  場所の予測はしていなかった。目的の気配を目掛けて移動したのだ。この星の上ならば、己の意志一つで出現することが出来る。試した事はないが、星の影響力が及ぶ範囲ならば、きっと何処へも行けるだろう。科学者は気を失いそうな現象だが、存在その物が学問で計れなくなっている今となっては、使える物を便利に利用するだけだ。何にせよ、往来ではなくて助かった。人目は無いほうがいい。
  アレクシスはカーテンの隙間を閉じた。目覚めたときに見るには、些か光が強すぎる。室内に束の間の闇が戻った。それでも物を識別するには不自由ない暗さだ。床に膝を着き、ルイの傍らで暫く彼を見つめた。
  いつ目覚めるだろう。触れることは躊躇する。目覚めるまでどれだけ時間がかかろうと、傍に居ようと決めていた。
  宇宙に浮かぶ巨大な基地から、この星へ戻った事は気配で解っていた。だからといって出迎えてやる立場には無い。かといって音信不通にする気も無い。繋いだ糸を切ってしまうには、執着がありすぎる。大地に足を着いた瞬間に全てを思い出せる程簡単ではないだろうと思っていたから機を窺っていた。
  彼の意識が『落ちた』瞬間を感じ、ついに来たかと腹を括った。目覚めたとき、向けられる感情は殺意か別の物か。どちらに転んだとしても受け入れるつもりではいる。だが、怖いと感じることも確かだ。
  叶うことならば、もう一度殺される事だけは避けたい。
  あの時向けられた憎しみは、手繰り寄せれば直ぐに思い出すことが出来る。
  けれど。
『愛しているから、お前を殺そう』
  確かに彼は、そう告げた。憎しみの裏側に隠してあったもの。意味がわからず、戸惑いが生んだ隙に殺されたのだ。人として生きてきた時間は、人ではない存在として生きていた時に比べるとほんの一瞬とも言える長さだが、そのお陰で以前わからなかった意味がわかるようになった。
  協会に戻り、以前と変わらぬ生活を送っていた。地味で堅実な毎日を過ごしていたので、何かしらの変化に気付かれることは無かった。唯一ロキにだけ、「雰囲気が変わった?」なんて尋ねられたがそれ一回きりだった。全てを知るウィリアムの方が、数ヶ月不在にしていたアレクシスよりボロを出すことが多いくらいだ。
  人としての人生は、世界を見つめる視界を広げた。人と星を繋ぐ者だった時の記憶は消えていない。当時の自分を疎んでも嫌ってもいない。確かに、あれは紛れもなく自分の一部だ。今でも。だが、広がった視野は、理解できなかった感情の意味を教えてくれた。
「未来を、…今を願ったのか」
  ぽつりと呟いたアレクシスは、その場に座り込んだ。
  僅かに眉を寄せたまま眠るルイの横顔を見つめ、長嘆する。このまま目覚めないということは、無いだろう。自分が生かされているのだ。バランスを取るためにも必要だ。まさか眠らせたまま、という最悪の事態を考えなくもないけれど。星は、それほど酷ではないと信じたい。何より、思い出してくれることを自分は願っている。ぽっかりと空いたままの隙間を埋めるのは、ひとりだけだ。
「…?」
  薄暗い中、視界の端に小さく光る物があった。ルイの背中だ。目を凝らせば、それは歪な三角形をしている。ゴミだろうか。光って見えたのは、ルイの着衣が濃い色をしているからだ。白いそれは紙くずに見える。取り除こうと手を伸ばした。その瞬間。
「ッ…」
  弾き飛ばされるような強さで、アレクシスは手首を捕まれた。折れそうなほど強い力だ。同時に晒された、肌を刺すような殺気。背筋に冷たい汗が流れる。
  ゆっくりと首を動かして、アレクシスは手首を掴み続けるルイの顔を見ようとした。銀色の長い髪に隠れ、表情を覗うことはできない。徐々に起き上がる上半身の動きを目で追う。銀糸の隙間から、深紅が暗く光った。
「レカニーア…、お前か」
  低く、唸るような声だ。くつり、と喉の奥で笑う。顔を伏せたそのまま、段々笑い声が大きくなる。
  手首の痛みに顔を顰めながらアレクシスは様子を窺った。まさか気が狂った訳でもないだろう。殺気はそのままだ。彼はアレクシスを『レカニーア』という名で呼んだ。過去の記憶が甦ったか。果たして、どんな行動に出るのか。発する気配だけ読み取れば、今にも攻撃に移ってもおかしくない。
  そして、狂笑めいたものは唐突に止んだ。
「ル…」
  ルイ、と呼ぶべきか。それとも、レアシスと呼ぶべきか。アレクシスは迷ったあげく、口を噤んだ。
「…賭は俺の勝ちだな」
  ぽつりと落とされた声。
「…!!」
  言葉を返そうと唇を開きかけた所で、アレクシスは床に引き倒された。
「く…っ…」
  馬乗りで押さえ込まれる。握られたままの手首は床に縫い止められ、もう一方の手のひらが首へ回る。少しでも力を加えれば、昏倒するだろう。ぎりぎりの力加減で、急所を押さえ込まれた。喉仏に剣だこが当たる。剣士の、手だ。
  逃げようと思えば、逃げられる。けれど逃げる気はない。
  ルイは笑っていた。傭兵として基地で生活していた時には、一度も見たことがないような笑顔だった。嘲笑にも近いが、どこか苦い。
「全てはお前に会う為か」
  唇の端を吊り上げたまま、アレクシスを見下ろして告げる。これは『ルイ』の言葉だ。膨大な記憶を統合させるには、ほんの少し時がいる。それでも、どちらの記憶へ話しかけようと、意味は通じるだろう。
「…後悔を?」
  可能性の一つが、思わず口を突いて出た。その途端ルイの顔色が曇る。歯を食いしばって、泣きそうな表情を見せる。
「そんなものをする位なら、端からお前を殺しちゃいないさ」
「なら…、いい」
  アレクシスが感じたものは安堵だった。後悔を問うた事に、今度は自分が後悔する。
「『いい』だと?俺に殺されて?」
  感情の機微を察知したルイが、首にかけたままの指の力を僅かに強めた。確かな殺意があるのだが、その方向はアレクシスへ向いていなかった。それが答えのような気がする。
「お前以外、誰が俺を止めてくれる」
「今度は『止める』か。俺を肯定するんだな」
  まるで否定してくれと言わんばかりの口調だが、アレクシスは挑発に乗る気はなかった。
「他の誰に責められようと、俺はお前を否定しない。憎しみも殺意も」
  澄んだ瞳で、そう淡々と告げるアレクシスを見下ろしたルイは、漸く掴んだ首から力を抜いた。自分の中に渦巻く二つの意志と意識が、混ざり合って行く。すると解ってくるものもある。
  あの時、レカニーアと呼ばれていた存在は、何らかの感情を向けられていても、本当の意味で理解していなかった。それは自分が創造した物では無いからだろう。解っていると嘯いていても、解っている『つもり』だったに違いない。
  だが、人としての生を得て、変わった。俺も同じだ。ルイはそう感じた。
「…愛も、だ」
  憎しみに、殺してしまう程。
  レアシスの意識は、既に消化された。人として、兵士として生きてきた道程に固執する気はない。それより、自分が何者であったのか識る方が余程いい。何も今までの生を棄てる訳ではないのだ。思い出し、取り込んで、自分に還る。破壊を求める性、サイオニクスでは説明出来ない力、繰り返す生、アレクシスに惹かれる訳を。
  過去確かに存在していた自分の意識が覚えた感情は、きっかけに過ぎない。過去の確執の所為で愛情を引きずっているのとは違う。人間としてかかわった数ヶ月、ひっかかる何かがあったとしても、惹かれていたのは確かだ。
  記憶を取り戻していなかった間に身体を繋げてしまったことは癪だが、あの時と今でも感じる想いは変わらなかった。
「『愛』、ね…」
  どこか苦笑混じりで呟いたアレクシスの表情は、はにかんでいるようにも映る。少なくとも拒絶は感じられない。まるで望んでいるような。自分を殺した相手に好意を覚える事はあるだろうか。
「同情か?」
  レカニーアであるからこそ、有り得ない話ではない。ルイは皮肉気に唇を吊り上げた。アレクシスはゆっくりと首を横に振る。
「まさか。それ程までに想われて、どうして俺が拒絶できる」
「それを同情と言う」
「冗談だろ。今なら解るんだ。世界と俺を秤に掛け、俺を選んだ相手だ。多くの命と、己の魂を贄にしてまでもう一度会いたいと、それ程願われて、それ程恋われて、殺されて、…そこまで追い込んだ自分を憎いと思いこそすれ、お前の想いに気付かない程、応え無い程、愚かじゃない」
  濁りのない空色の瞳が、本心を告げていた。
  アレクシスは一切の迷いがない視線を、ルイの紅い瞳に合わせる。これでも考えたのだ。自分が何であったのか、そして今を生きていることを。星と人を繋ぐ者は三者必要であるが、明確な対立を表しているのは創造と破壊だ。その分互いを意識することも多いが、結局の所創造と破壊は表裏だ。どちらかが欠ければ、立ちゆかない。相容れないと知っていても、対の相手である事実は揺るがない。
  そこに愛が生まれた事は驚きの一言だ。本来生み出すのは創造者の筈なのに、破壊を司る彼が愛を知っていた。憎しみの裏側にある物。まるで奇跡じゃないかと思うのだ。憎しみを愛で破壊するなんて、考えもしなかった。
  そして、彼にとって一番苦痛を伴う方法を選ばせてしまった自分はあまりに盲目すぎた。望んで悲しみを背負った彼が流す涙を、止めたい。止められるのは自分しかいないだろう。他の誰に譲る事も嫌だ。そう、他の誰にも、譲らない。破壊は、創造のつがいだ。
  独占欲すら混じるこの感情が、義務や同情であるものか。
「俺が俺であるのだから、番いはあんたしか居ない」
  いつか言った言葉。二度目のそれは、愛おしさがにじみ出ていた。つまるところ、それだけ凶暴な感情を向けられて、嫌悪ではなく好感を覚えるのだから、自分の好みなのだろう。気付いたときには自分にそんな激情があったのかと驚いたものだが。
「何かの犠牲で世界を存えさせるより、今度は…、あんたと歩む世界を創りたい」
  これは星の『意志』なんかじゃない。今この瞬間星の怒りを買って消されてしまうかもしれない。それでも、伝えられないよりはいい。無垢なまま創造しかしなかった、無知な自分からは生まれない感情。もしかしたら初めて、自ら望んで何かを創りたいと思った。
「そうか…」
  冷酷ともとれる表情を浮かべていたルイが、ふっ、と笑い声を漏らした。笑顔は、数ヶ月共にいた時に見た同じ物だ。微かに唇の端を上げ、僅かに瞳を細める。
「まるで一人勝ちだな」
  これが笑わずにいられるか。
  己の力の矛先は、全てにおいて創造へ辿る。対の相手が生み出した物でなければ、壊す意味はない。それは物質、物理一辺倒だったが、行き着いた先は違っていた。閉じようとしていた世界を壊し、頑なな創造者の意識を砕いた。
  賭だ。勝算は五分。想いが伝われば勝ち。拒絶されれば負け。もし、余計なことをしてくれたと逆上され、蘇って返り討ちにあうのならば、それはそれで受け入れるつもりだった。もう二度と、彼を殺したいとは思わない。
  もっとも、同族を殺した罪を考えれば、この意識や力が戻る事は無いだろうとも思っていた。だから、一人で始めたこの賭が、その結果がわかること自体奇跡と呼んで差し支えが無いだろう。
  一方通行で終わったとしても、よかったのだ。愛した相手が滅びるよりは、余程。それが相手を無視した、自分勝手な我が儘だと解っていたけれど、そんなものはどうでもよかった。レカニーアを殺し、星を蝕む創造の痕を壊し尽くし、星に取り込まれて以降の事など考えていなかった。自分の未来など、想像したこともなかったのだ。
  だから、アレクシスが告げた今後を望む言葉に、救われた気分になった。誰に許しを請うつもりもなかったけれど、確かに救われた。
「これから…、か」
「そうだよ。これからがある」
「横にお前が居て、な」
  喉で笑ったルイは、床に引き倒したままのアレクシスを引き起こした。すっぽりと胸に納まった身体を掻き抱く。温かい。アレクシスはゆっくりとルイを抱き返した。首筋に埋められた銀髪が時折くすぐったいが、縋り付くような力強さに苦笑混じりの溜め息しか零れなかった。
「…覚悟しろよ。俺の執念深さを」
  ルイは重心をずらしてベッドに背を預けた。今更になって、ここが何処かとか何故アレクシスが傍に居るという疑問や色々を思い出す。もっとも、話す時間は沢山ある。急ぐ必要は、もうない。
「星の誕生規模だろ?逃げる気も失せるな」
  いつもの調子を取り戻したルイに、アレクシスは戯けて応える。逃げる必要も、殺し合う必要も、今となっては必要ない。これから、そう、これからを、どう生きていくか、だ。
  擦れた低音で笑ったルイは、唇の端を吊り上げたままアレクシスの耳元で囁いた。
「差し当たって…、そうだな、有給消化に付き合ってくれ」
  返事が返る前に、ルイはアレクシスの唇を塞いだ。
  口付けの数は、もう数えなくてもいいだろう。

  

ちょっと消化不良気味ではありますが、本編はこれにて完結です。「出会い編・完」みたいな感じなので、続きそうではあるのですが。とりあえず!
ここまで読んでいただいてありがとうございました!!
2010/09/08

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